さこたつみ【佐古竜巳】のブログ

日々の活動や生活の気になったことを紹介します。

大雨の被害を未然に防ぐには

10月18日阿南市に大雨警報が出る

羽ノ浦の上ナカレを見に行く

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用水の容量をこえてオーバーフローする水「信用金庫下1階駐車場部分」

到着時刻21:20

太陽光発電の工事により出来た擁壁により、オーバーフローした水が遮断され、現時点で25センチの水が溜まっていた。監視しに来ていた近隣住民の話によると、60センチ溜まったこともあるようだ。

上ナカレと言う地域は、大水が出たとき用水から溢れ出た水を遮らない構造で建築物を建てるという習わしのある土地です。なので用水付近の建物は1階部分は柱だけの構造にして、2階から上を居住スペースや店舗スペースにして、工夫しているようです。

ところが、水の流れを遮る場所に、太陽光発電をするために、嵩上げをしたことが、原因で上流が浸水するリスクが増した事が、住民の不安となっています。

災害対策には官民の垣根をこえた、連携が必要です。そのためには行政側が住民の声を聴き、水害リスクを最小限に抑えるにはどうすればいいのか、双方向の話し合いが必要だと感じています。

 今回、豪雨の中、水門の開閉の調整に走り対策をしてくださっている市の職員の方の姿や、不安で用水の様子を見に来る近隣住民の方の姿、囂々と流れる用水を見て、大水の恐ろしさ、現場で対応している職員の苦労を再認識しました。

 

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上ナカレの新設構造物により溢れ出た水が遮られている。

 (B‐B断面以前)太陽光発電工事で嵩上げされる前は、暗渠から溢れ出た水は低いほうに流れていた。

どうすればよくなる?日本経済

以下 女性のひろば 2017年10月号「大門ゼミ・政治経済キホンのキ」の中から引用

 

 

 景気が悪くなれば、税収全体が減少します。景気を悪化させる消費税増税は、社会保障であれ、財政再建であれ、財源論として論ずるに値しません。それどころか、この間の自民党の右傾化をみると、消費税増税が軍事拡大の財源に使われていく危険性があります。

 社会保障充実にあてる財源は、格差が拡大している現状をふまえ、まず応能負担の原則に立ち戻り、大企業や富裕層に応分の負担をもとめることで生み出すべきです。

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 図形はワードで作りました。大門みきしさんが、2年前に予測していたように、消費税はF35やイージスアシュアを爆買いする財源になっています。そしてかつての日本企業は、今に比べたらもう少し従業員の事を大切にしていたような気がします。

佐古竜巳後援会事務所開き

 

 本当は、10月12日に行う予定だった後援会事務所開きは、台風の影響で、警報が出ていたので、翌日に延期しました。なので、12日は事務所の片づけを手伝ったり、街宣用の原稿を基に事務所開き用のスピーチを考えたりしました。

 そして、事務所開き当日(13日)事務所開き1時間前に、事務所に到着、まず、思ったのが、あまりにもガラガラだったらどうしよう。当然ながら1時間前には、数人だけです。

 スピーチを憶え切れていなかった為、ちょっと最後のあがきをしつつも、来てくださった人に挨拶をしながら。開始の時間をむかえます。気が付けば、用意した椅子に座り切れないほどの人が集まってくださりました。

 達田よしこ県議の司会の元、県委員会、阿南市議、新日本婦人の会、生活と健康を守る会、の人がお話をしてくださりました。僕が入党してからの経緯を、よく知る人たちからのエールは、心強いものです。なかでも新日本婦人の会の山田さんは、沖縄の県知事選挙で、玉城デニー当選の喜びを分かち合いながら、同じ日に沖縄から帰って来た話をしてくれました。

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 そんなこんなで、自分が話をする番が、回ってきました。後半、覚えきれなかったので原稿をちらちら見つつ、自分の訴えをしました。

 阿南市議の保岡さんが行動提起をしてくれたのですが、他の各候補者の詳細をすごくまじめに紹介してくれたのですが、ところどころにちりばめられた、笑いのツボはさすがでした。最後に、この事務所から出た人は皆、当選している縁起のいい事務所だと紹介してくださり。みんなの拍手が起こりました。

 最後に後援会会長の貞本さんが、ガンバロー三唱をしてくれて、無事、事務所開きを開くことができました。早速、昼からも頑張りましたが、明日からも、頑張ろー

 最後に、遠方から来てくれました皆様、ありがとうございました。

県道の騒音問題

 

                             2019/9/10/12

今までの経緯

 春先に市の水道の工事で設置した空気弁の鉄蓋のがたつきが原因の騒音問題で、市と県の担当者に来てもらい、市が対策工事をするということになり、市は鉄蓋を取り払い舗装で埋めるという対処をしました。僕自身はとりあえずの応急工事なのかなとも思っていたのですが、先日、振動による被害が解決していないことを聞きました。

 春先の立ち合いで、県の担当者にも言ったのですが、県道を横断する用水のコンクリート構造物が原因で振動が起こっている事は明らかであり、僕自身も2級土木施工管理技士を持っていますが、知り合いの現場監督にも相談しました。コンクリート構造物の極は段になりやすく、振動を解決するには舗装の修繕以外にないという結論でした。

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道路内のコンクリート構造物の回りは下がりやすく、振動の原因になることが多い

10月8日 

 南部総合県民局に、達田よしこさんと僕(佐古たつみ)とで、道路維持管理の担当者に振動解決の要請に行きました。

 県の担当の方はすぐに現場を確認してくださり。確認後の状況を電話でいただきました。

県 :確かに舗装はあちらこちら傷んでいるようです、特に家のある側の傷みが激しいように思われます。おっしゃられていたように用水のコンクリート構造物が振動の原因だと思われます。

佐古:工事してくれるんですよね?

県 :上司にまだ報告していないのですが、おそらく優先順位は低いかと思います。

佐古:春先にも問題の解決を提起したのにどういうことですか?

県 :それでは、一度、現場で立会しませんか

佐古:それでは明日、立会いでよろしくお願いします。

  • 10月9日

県の担当者2名、住民2名、佐古、あわせて5名で立会を行いました。

振動被害の生の声が一番、県の担当者に響いたと思います。実際に舗装の不陸や舗装の割れ、白線や横断歩道の線が消えかかっていることもあり、補修工事をする事を約束してくれました。しかし、予算の関係上、すぐは出来ないそうです、しかし、年度内にはしてくださるそうです。

10月10日

 市の水道課に説明してもらいたいことがあり、訪ねるが担当者不在、数時間後に電話が架かってきて現場を見てきたとの報告を聞きました。

佐古:舗装が亀の甲のように割れているが漏水の疑いはないのか?空気弁の鉄蓋の工事はあれで終わりなのか?この先、空気弁の蓋を設置する工事をする事はあるのか? 

市の水道課:工事をした業者に聞き取りをしてみます。

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10月11日

市の水道課:工事をした業者に聞き取りをしましたが、工事中に漏水と思われる事象はなかったとのことです。鉄蓋もこの先、設置する予定はありません。近所の方にも工事後に説明に行きました。

佐古:工事が終わった後、何の話もなかったと聞いていますが?

市の水道課:近所と言いましても、鉄蓋に隣接する家だけにしか伺っていません。

佐古:わかりました。お忙しいところお手数おかけしました。

 

以上、10月12日現在の報告です。

 

報告者:佐古竜巳

台風が残したもの

 まず、初めに千葉県の台風15号の被害を受け死亡された方のご冥福をお祈りいたします。被災された皆様が普段の生活にいち早く戻れますよう願います。災害ボランティアに駆け付けれず申し訳ない気持ちです。

台風で壊れたベランダ床板の補修

台風の強風でまくれた床をしばらくほったらかしにしていたのですが、時間の都合をつけてようやく修繕しました。その一部始終を紹介します。

 強風によりベランダの床板が2枚外れてしまったので、補修作業を行いました。溝にかまして連ねていく形式の床材ですが、いざはめようとすると重なり合うようになってしまい入りません。悪戦苦闘の末、端っこのが入ったので、端から踏みつけていき何とかはまりました。

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端から踏みつけていきます。

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次に溝のキャップを外すとねじが見えるはずでしたが‥‥

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げっ!長年のコケやら土が溜まっています。

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洗ってみると、ねじ出現、錆びて朽ちていました

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桟の位置をキャップに控えます。

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新しいねじを、インパクトドライバーでバリバリとやります。

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キャップを閉じて掃除をして完成です

 作業をしていて気付いたのですが、桟の一部が腐ってくちていました。今回、応急処置でしたが、次にまとまった時間ができれば、桟から変えねばならないと思います。とりあえず、たちまちの台風には大丈夫だと思うので、今回の作業は以上です。

戦争体験を聞いて

 阿南平和委員会の企画で戦争体験を聞きました。Oさんのお話を書き起こしてみました。

軍事教練に明け暮れた青春時代

 生まれた翌年に満州事変が始まって、1945年の終戦の年まで、後に15年戦争と言われた時代が私の青春時代でした。真珠湾攻撃のあった年に富岡中学校(現在の富岡西高校)に入学しました。戦争体験という話ですが戦争による苦しさとか食糧不足を耐え忍んだ話とかは、親は心配や苦労はあったのでしょうけど、私本人はそう言う経験はないんです。

富岡中学校には、在郷軍人(退職軍人)が配属されて、軍隊教育、軍人教育を学校でやっていたんですけども、富岡中学校の場合にはある重大な事件がおきまして、県からの要請で在郷軍人1人だけでなくて配属将校(現役将校)が1人配属されてきて、校長よりも権限を持つという状況でした。

朝、学校に登校したら、まず《君が代》を歌って、《教育勅語》を斉唱しました。そのあと授業が始まるんですけど、6時限のうち普通の教科は2時限だけでした。あとは全部、体育(軍事教練)に費やされました。その中で特に特徴的なのは【軍人精神注入棒】これ海軍の真似したんですけどね。六角棒でお尻を叩くんです。

さらに何の訓練やるにしても、10人で班を組むんです。その10人の行動が一糸乱れぬ行動でなかったら罰則がつくんです。その罰則について特に印象に残っているのは、富岡中学校から現在ゴルフ場になっているあたりまで往復(およそ4㎞)する訳ですが、成績の悪い2班を校庭に並ばして、10人ずつが対向ビンタ【向かい合わせで殴る】を強要されました。初めは友達同士だから、なかなかできないのですけども、だんだんやられたら、その気になって、殴り返す。公認の殴り合いやからね。それでもなおかつ手加減しとる生徒なんかがいたら、教官がすぐやってきて、軟弱者だということで、六角棒でお尻を叩くんですね。なので皆、泣きながら必死になってやらないと自分だけがボロボロにされるということで、それをやったんです。

大人も逆らえなかった当時の非人道的教育

それを見かねて、担任の太田先生(あだ名は背広を着ているがボロボロだったので高等ルンペン更に略して高ルン)は英語の教師だったんですけども、罰則の現場に寄ってきて「ちょっと、いくら何でも非人道的ではないか」と将校に抗議したんですよ。そしたらとたんに、その先生が標的になって、生徒の見ている前でめったやたらに殴る蹴るをやられて失神したんです。その後、10日ほど、太田先生は休みました。そして、再び出てきたときには国民服(カーキ色の詰襟服)を着て、見かけだけは軍国教師に変わりましたという風貌でした。

そして、いつも朝から《君が代》《教育勅語》さらに《軍人勅諭》までも斉唱、これがだいたい20分かかるんですけども、毎日斉唱、普通教科2時限の後は軍事教練の日々が続くわけです。

米軍機による那賀川鉄橋列車襲撃事件

 これは、なかなか人には言えなかった話なんですけども、当時、夏休みでした。あと少しで終戦というときなのですが、1945年(昭和20年)7月30日の那賀川鉄橋列車襲撃事件の話です。当時、何人か指名されて立江の山の中に駐留日本軍専用防空壕を作る作業をしていました。「今も掘りかけの壕が残っている」それに動員されて、交代で1日に何人かが、その穴掘りに行くわけですが、あの、実はさぼって、小松島まで行って映画を見たり友達と遊んだりしていました。

 その帰りに乗った列車が米軍機による空襲に遭います。当時、終戦間際で勝ち誇っていて遊び半分の艦載機2機が起こした事件なんですけども、意味のない殺戮です。まず機関銃で列車のボイラーに穴をあけ、減速するわけです、次に2両目と3両目の間に小型爆弾を落とします。それで停止させて、それで旋回してきて機銃掃射を2回やったと思うんですけども、誰かが伏せろと言ったので窓際で伏せていました。窓は初めから終わりまで全部撃ち抜かれました。自分は伏せていたので頭の上を弾丸が通過したのですが、反対側の窓際にいた人たちは足首が飛ばされたりしていたのを見ました。

 私たちは子供だったので、怖いという思いが強く米軍機が去ったあと、線路づたいに逃げました。まもなく消防団が到着して、近くにあった製材所の敷地に死傷者が運ばれました。むしろの上に80体程の死傷者が横たわっていました。その後、いっしょの列車にたまたま乗り合わせた1つ上の先輩と共に富岡駅(現在の阿南駅)までトボトボと歩いて帰るわけですが、この話は口に出すわけにいかんな、2人だけの秘密にしようということにしました。おそらく動員をさぼっていたのがばれたら体罰があるというのがあったのでしょうけども。

脳裏に焼き付いた悲惨な状況

 一番印象に残っているのは恐怖に耐えかねてあの高い鉄橋から飛び降りたものの水位が低いので頭を打ちつけて、そのまま亡くなったりだとか、製材所に集められた80体の人はほとんど死者だったんですけども、一番心に残っているのは、おそらく死んだ母親の横に今生まれたばかりの赤ん坊がギャーギャー言って泣いていたんです。もし生きていたら75歳になっているんかな、生きているなら会ってみたいという気持ちがあります。‥まあそういうことです。私自身はあんまり褒められた話ではないので恥ずかしい話なのでこのくらいにしますけどそういう状況だったわけです。

感想

淡々とお話ししてくれたOさんですが、赤ん坊の話をしたとき、涙ぐんでいました。戦争は人間の感覚も狂わす非人道的なものであること。どんなに大義名分をつけようとも意味のない殺戮であることがよくわかりました。昨今の戦争では兵士よりも民間人の死者の割合の方が多いのです。戦争は外交の失敗で恥です。日本はまだ戦争をしない方法を選び取ることができます。

那賀川を行く

 

下流から一つ目のダム(川口ダム

 

今日は新聞赤旗(日曜版)を木頭まで届ける日でした。那賀川上流に向かって走るのですが、3つのダム湖の側を通ります。常に水が動かないためか濁り不自然な緑色の水です。ダムのない牟岐町で育った僕にとって川の底が見えない事がとても気になります。自然をコントロールするために作ったコンクリートの構造物は、自然を壊してしまっている。もう一つ気になるのが山は緑ですが、杉ばかりと言う事です。国策で杉を植えまくったからです。「杉は根が張らないので貯水力がない、緑の砂漠だ」那賀町議の大沢さんはそう言います。牡蠣の生産地は海を肥えさせるには山からだと山の環境から考えます。杉は針葉樹林なので落ち葉は腐葉土にならず、山は痩せる一方です。漁獲量が年々減っているのは当然の事です。海と山は一体です。自然のダムをなくし、コンクリート構造物のダムをつくった結果、水質は悪化。かつては澄んだ川だったはず。

 

二つ目のダム長安口ダムのダム湖に架かる橋、腐りかけていてスリルのある橋

  • ダムのメリット:水力発電、干ばつ対策、
  • デメリット  :放流の判断を間違うと水害が起こる、水質悪化、景観を損なう。

3つ目の小見野々ダムと杉ばかりの山

 

 那賀川はかつて暴れ川と呼ばれ龍神の怒りを鎮める為に、村娘を生贄に捧げたという昔話が残る川です。

 ダムは大量に水を貯める物です。人間の予想を超えない雨量ならコントロールできるかもしれません。しかし人間の予想を超えた雨が降るとコントロールどころか暴れ川に姿を変えることもあります。自然をコントロールしようとは人間の驕りです。便利さと引き換えに那賀川が失ったものは大きいように思えてなりません。

 

 

小見野々ダム上流、昔の川底は遥か下だったそうだ。今は土が堆積してしまっている